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大阪地方裁判所 平成8年(行ウ)2号 判決

原告

木田賀恵

右訴訟代理人弁護士

丹羽雅雄

養父知美

被告

淀川労働基準監督署長近藤紘司

右訴訟代理人弁護士

法常格

右被告指定代理人

塚原聡

主文

一  本件訴えを却下する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  原告

1  被告が原告に対し、平成三年八月二日付けでなした労働者災害補償保険法による療養補償給付の不支給処分を取り消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  被告

1  本案前の答弁

主文と同旨

2  本案の答弁

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  原告は、大阪布淀川区〈以下、略〉所在の聖徒病院に勤務する看護婦であったが、平成二年三月九日午前三時四五分ころ、同病院六階内科病棟の仮眠室から転落し、負傷した(以下「本件事故」という。)。原告は、直ちに同病院に収容され、診察の結果、「反応性うつ病、両足挫滅粉砕骨折、ショック仙骨挫骨骨折、胃損傷、後腹膜血腫、頭部胸部打撲」と診断された(ただし、事故の態様については、争いがある。この点は、被告は、原告が飛び下りたと主張する。)。

2  原告は、被告に対し、本件事故による負傷が業務に起因するものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、療養補償給付を請求したが、被告は、平成三年八月二日付けで、原告に対し、これを支給しない旨の決定をした(以下「本件処分」という。)。

3  原告は、本件処分を不服とし、同年一〇月一日、大阪労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたところ、同審査官は、平成七年九月二九日付けで、右請求を棄却する旨の裁決をし、そのころ右裁決書が原告に送達された。

しかしながら、原告は、所定の期間内に再審査請求を経ていない。

二  争点

1  本件訴えは、再審査請求を経ていない故に、不適法として却下されるべきか。

2  原告の本件事故による負傷ないし精神疾患は、業務に起因するものか。

三  争点に関する当事者の主張

1  争点1について

(一) 被告の主張

労災保険法三七条によれば、同法三五条一項に規定する処分の取消しの訴えを提起するためには、当該処分につき再審査請求の裁決を経なければならないことになっている。

しかるに、原告の本件訴えは、右再審査請求の手続を経ずに提起されたものであるから、不適法として却下されるべきである。

(二) 原告の反論

(1) 行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)八条二項一号は、「審査請求があった日から三箇月を経過しても裁決がないとき」には、右審査請求に対する裁決を待たずに取消訴訟を提起できるものとしており、本件もまさにこれに該当するから、本件訴えは適法である。

右規定の文言からみて、取消訴訟提起までの間に審査請求に対する裁決がないことまでは要求されていないし、実質的にも、右規定が手続遅延による被処分者の不利益を考慮し、迅速な救済という見地から、三箇月の期間経過後の訴え提起を容認していることに鑑みると、一旦右三箇月の経過により被処分者について生じた手続遅延による不利益が、その後の裁決の存在により左右されるというのは不合理である。審査請求前置主義が裁判を受ける権利に対する重大な制約であることを考えると、訴訟による救済を受ける機会を不当に奪う結果とならぬような解釈・運用がなされるべきである。

(2) 行訴法八条二項三号は、「正当な理由があるとき」には、審査請求等を経ていなくても、取消訴訟を提起できるとしており、本件もまさにこれに該当するから、本件訴えは適法である。

本件の場合、審査請求時から四年近くも経過した後にようやく裁決がなされたものであり、仮に再審査請求の手続を経たとしても、特に新たな資料等の提出がない限り、再審査庁において、これと異なる判断が示されることは期待できない場合であるので、むしろ、司法による迅速な解決がなされるべきであるから、右正当理由の存することが明らかである。

(三) 被告の再反論

昭和三一年度から平成五年度までの労働行政要覧によれば、労働保険審査会に提起された労災保険に関する再審査請求の裁決については、総数八九六七件中、原処分の取消事例が一一〇三件にものぼっており、再審査請求の判断が審査請求と常に同一であり、異なる判断が期待できないとは到底いえないから、右「正当な理由」は存在しない。

2  争点2について

(一) 原告の主張

本件事故は、業務による肉体的・精神的な疲労の蓄積の結果発生したものであるから、業務に起因するものである。

(1) 原告は、当時、聖徒病院六階内科病棟主任として、婦長を補佐し病棟の看護婦を統括する立場であったが、平成元年八月ころ、新任の婦長と看護婦との間で生じたトラブルに端を発して看護婦の退職者が続出し、深刻な看護婦不足を生ずるようになっていた。そのしわよせは主任である原告に重くのしかかるようになり、もともと肉体的に過酷な勤務に加え、精神的にも婦長と看護婦との板挟みの中、著しい精神的緊張状態に追いやられ、次第に疲労が蓄積していった。

(2) そうした中、平成二年二月二八日、原告を除く内科病棟の看護婦全員が婦長交代を求める申入れ行為やビラ配布を行う事件が発生し、同年三月一日からは、内科病棟は婦長不在の状態となり、病棟の管理運営責任も主任である原告に課せられるようになった。ここに至って原告の身心の疲労も極限状態となり、同月四日から六日までは睡眠もとれず、食事も喉を通らない状態となった。更に原告は、同月六日から七日、八日から九日と連続して夜勤に就いた。

(3) 原告は、以上のような職務上の過労状態・精神的緊張状態の下で、夜勤中である同月九日午前三時四五分ころ、本件事故に遭遇したものであるから、本件事故による負傷と業務との間に相当因果関係があることは明らかである。

(二) 被告の主張

本件事故は、原告が仮眠中に偶然の事故で転落したものではなく、自ら六階内科病棟の仮眠室の窓から飛び降りたものであるが、原告は、その際反応性うつ病(以下「本件精神疾患」という。)の診断を受けていた。しかし、本件精神疾患は、業務に起因するものではないから、右転落による負傷と業務との間に相当因果関係は存しない。

すなわち、原告の業務にはある程度の精神的負担が存在したことは認められるものの、これは本件精神疾患の誘因とはなっても原因とまではいえず、更に、原告には精神疾患に罹患しやすい性格的特徴(誠実、強い責任感、几帳面、真面目、仕事熱心、小心等)が見られるところ、右性格上の素因が本件精神疾患の有力な原因と認められるので、右相当因果関係は存在しない。

第三当裁判所の判断

一  争点1について

1  労災保険法三五条一項は、審査請求と再審査請求との二段階の不服申立手続を定め、同法三七条は、処分取消の訴えにつき、再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経た後でなければ提起できないとして、裁決前置主義を採用している(行訴法八条一項ただし書参照)。

そして、行訴法八条二項一号によれば、右裁決前置主義の例外として「審査請求があった日から三箇月を経過しても裁決がないとき」には、裁決を経ないで取消訴訟を提起できるものとされており、右例外規定にいう「審査請求」とは、審査請求・再審査請求の双方を含むと解される(最判平成七年七月六日民集四九巻七号一八三三頁参照)。

2  ところで、右「審査請求」に再審査請求のみならず、審査請求も含まれると解する場合、審査請求時から三箇月を経過しているが、審査請求に対する裁決が既に出ている場合も右例外規定に該当するか(右「審査請求があった日から三箇月を経過しても裁決がないとき」とは、審査請求係属中に限られるか)が問題となる。

(一) 思うに、労災保険法が保険給付に関する決定に対する不服申立てにつき二段の審査請求手続を定め、かつ、取消訴訟につき再審査請求の前置を定めている趣旨は、多数に上る保険給付に関する決定に対する不服事案を迅速かつ公正に処理すべき要請にこたえるため、専門的知識を有する特別の審査機関を設けた上、裁判所の判断を求める前に、簡易迅速な処理を図る第一段階の審査請求と慎重な審査を行い併せて行政庁の判断の統一を図る第二段階の再審査請求とを必ず経由させることによって、行政と司法の機能の調和を保ちながら、保険給付に関する国民の権利救済を実効性のあるものにしようとするところにあると解せられる(前掲最判)。

(二) 右労災保険法の趣旨に鑑みると、第一段階の審査請求に対する判断が既になされている場面においては、前記簡易迅速な処理の要請は後退し、むしろ、第二段階の再審査請求の手続において慎重な審査を行い、併せて行政庁の判断の統一を図ることが法律上予定されているものというべきであって、再審査請求を経ることなく取消訴訟を提起することは許されないといわなければならない(仮に、この場合にも再審査請求を経ずに取消訴訟の提起が可能だとすると、行政庁内部での再考の機会や、行政庁の判断統一の機会が失われ、再審査請求の前置を定めた法の趣旨を没却し、長期的にみれば、かえって国民の権利救済の道を狭める結果となろう。)。

(三) したがって、この場合、取消訴訟を提起することができるためには、再審査請求の手続を経る必要があり、右手続を経ていないときは、訴えを不適法として却下すべきものと解するのが相当である(最判昭和五六年九月二四日裁集民一三三号四八七頁参照。なお、前掲最判平成七年七月六日は結論として、再審査請求を経ない取消訴訟の提起を適法としているが、右最判は、審査請求に対する裁決がいまだ出ていない事案に関するものであるので、本件とは事案を異にするというべきである。)。

(四) この点、原告は、手続の遅延による被処分者の不利益を重視し、司法による迅速な救済という観点を強調するが、右見解によるときは、前記のとおり、再審査請求前置を定めた法の趣旨を没却する結果となるし、また、原告のいう手続遅延による不利益といっても、せいぜい再審査請求から三箇月が経過するまでの間に過ぎないのであるから、これにより裁判を受ける権利を不当に制約し、徒に司法的救済を遅延させるものでもないから、原告の右主張は理由がない。

3  さらに、原告は、本件において、仮に再審査請求を経たとしても、特に新たな資料等の提出がない限り、再審査庁において、これと異なる判断が示されることは期待できないというべきであるから、かかる場合は、むしろ、司法による迅速な解決がなされるべきであって、再審査請求を経ないことにつき行訴法八条二項三号の「正当な理由」が存すると主張するが、右は、要するに、再審査請求をしても、自己に有利な裁決を期待できないというに過ぎないものであって、これだけでは、再審査請求を経ないことにつき正当な理由があるとい(ママ)えない。再審査請求を経ても、これと異なる判断がなされることが当然かつ確定的に期待できないがごとき場合にあっては、右の正当な理由があるとされる余地があるが、本件がかかる場合であると断定するに足る証拠はない。したがって、この点の原告の主張も失当である。

二  よって、本件訴えは、再審査請求前置の手続を欠くものであるから、不適法として却下すべきものである。

(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 長久保尚善 裁判官 仙波啓孝)

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